コロナ禍の合唱コンクール

緊急事態宣言が出されたため、歌うことが許されない音楽の授業。

現場の先生達は、あれこれと創意工夫なさってることでしょう。

昨年度は、2学期の大イベント「合唱コンクール」も中止。

果たして、今年は‥?

変声期を越え、歌うほどに深みのある響きが生まれてくる3年生。

しかし、思いっきり歌ってきてないこの1年余り。この流れの中で、如何にして3年生に合唱の醍醐味を‥‥。もし現場にいたら、何をするだろう‥‥とよく考えます。

 

新任の頃は、「大空の下で歌おう!」とグランドで授業したものでした。

コロナ禍で管理が厳しくなっている今、そんなことも許されないのでしょう。

それじゃあ‥‥、『創作』! 『クラスソングの創作』です!

 

 過去の実践です。

① 2年生のヒロシマへの修学旅行に向けて、自分達で「平和ソング」を創りました。

数ヶ月間の準備期間中、ヒロシマを学びながら、事あるごとに歌いました。そして、広島で、被爆者の方々に体験談を聞かせていただいた後、平和公園で歌ったとき、ようやくその歌が、それぞれの心に染み入ったように感じました。

 

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コロナ禍を生きる

 新型コロナ感染予防のために、これまで「大切にして!」「やり続けよう!」と、生徒達に訴えていたことが、逆に「やってはダメ!」になってしまいました。

「互いの距離をとって!」「食事中、喋らないで!」⇒ 何とも、寂しい教室です。

「力を結集させよう!」「互いに支え合おう!」⇒ いえ、行事は中止ですっ!

 

頭を寄せて、考えを出し合って「へぇ~、そんな考えもあるんだぁ」

分からない学習内容を教え合って「あぁ、分かったっ!ありがとっ」

そんな中で、互いの理解を深め、心が少しずつ近づいて、それぞれの存在を認めていく集団へと育っていくのに‥‥。

 

 でもコロナ禍を中学生として生きている生徒達のためには、嘆いてばかりもいられません。“今だからやれること”は‥?

“一人になる” “自分を探す” このことに向き合うチャンスになり得ると思うのです。

これまで生徒達を見て気になり続けていたことは「うん、そーだね」「いいね~」と、やたらと同調するばかりなのです。

「えーっ、そうかな~」等と反論してしまうと、後で、陰で、何を言われるか分からないという不安をもっています。ましてや、小学校時代にシカトされたり、悪口を吹聴された経験を持つ生徒(この数の多いこと!)は、自分を素直に出すことに、恐怖心さえ抱いています。

中には、自分の考えを曲げてまで人の中にいたくないっ!と、毅然として“独り”でいる生徒もいますが、殆どの生徒達はそうはできません。

 だから「離れなさい」と指導する今こそ、周囲を気にせずに、頼りっきりにならずに、自分の考えを見つけていこう!という時間を、これまでより多くつくっていけるチャンスだと思うのです。

再び、スタート!

 〇〇市を退職後、地元で1年間、講師をしながら目の当たりにした“荒れた中学校“の現場。私はそこで、しらけ切った生徒達を前にひるんでしまったり、秩序のない生徒集団や校内暴力に恐怖を抱いたり‥‥。そんな経験から、それまでの理想としていた教育観や教師像は、大きく変化していきました。

 

 給食当番が廊下を通る間に、好物の副食が奪い取られていく。教師の制止はきかない。騒然とした授業、教師の声が聞こえない。

周囲を威嚇し暴力を振るいまくる一群が集団を支配する。そんな日常の中では、教師を敵視する彼らに加え、周囲の生徒達も教師への不信感を募らせていきます。自分達の生活を教師が守ってくれないのですから。

 私が実践していきたいと意気込んでいた生徒達の自治能力、それを育てるための様々な行事の自主運営や、日常生活の自主管理。しかし、それらを実現させていくためには、生徒集団の秩序が保たれていることが大前提。そして、それを保つための教師の指導力と、教師の言葉を聞き入れる生徒集団にしておくこと。

 それは音楽の授業においても然り。授業として成立していない実態を数多く見聞きして、唖然とし、先ずは何としても、生徒達が音楽活動を状態にしなければと。それが、私の最大の課題でした。

 そのためには初めが肝心だ!と、キビシイ空気で授業をスタートするようになっていきました。“怖い先生”と見られるようになっても、仕方ないと思っていたのです。

 “秩序を保つためのビシッとした厳しさ” “心伸びやかに生きいきと” これを両輪にすること、このバランスを取ることがなかなかできず、その後も四苦八苦し続けました。

浅かったなぁ

 荒れた中学校で,くたくたになりながら毎日、よく○○市での3年間のことを思い出していました。学校に行くことが楽しくてたまらず、日曜日の夜は「また1週間始まるっ!」と心浮きたち‥‥。そんな日々を送っていたことが、夢のように思えました。

 ただ○○市を去る直前に、二人の生徒が、それぞれに抱えていた事情を知った時、「私は生徒達のことをどれだけ理解していたんだろう」と、表面に表れる言動だけで生徒達を見ていた自分の浅はかさを、痛感させられました。

 合唱部に所属していたF子は、自分の感情を露わにすることがなく、穏かに友人達と接する生徒でした。その歌声はとても豊かで、エネルギッシュに歌う彼女の表情は、今でもしっかりと目に焼きついています。

最後の授業が終るたびに、生徒達が渡してくれるたくさんの手紙。その中からF子の手紙を読んだ時、愕然としました。「両親が離婚します」と一言、綴ってあったのです。両親がこの結論を出すまでの厳しい時間を、F子は胸を痛めながらも、全くその様子を見せずに学校生活を送っていたのです。その間、私はただただ“まじめな誠実な生徒”としか見ていなかったのです。あまりにも浅すぎる‥‥。

 

 N男には、手を焼いていました。授業中「イヤだ!イヤだ!」と、幼子のように駄々をこね、叱るとプイッ!とすねてしまう。どうすればいいのか途方に暮れ、ぶつかり合うことも度々でした。そのℕ男の成育歴を知ったのは、もうこの学校を去る間際のこと。複雑な家庭環境で育ち、親の愛情を知らないまま、養護施設に預けられたということでした。一方的に「○○しなさいっ!」「それはダメっ!」という言葉を浴びせかけるだけの私の指導が、彼の中に入っていくはずもありません。

 

 生徒達の近くにいるぞっ!なんて、自己満足に過ぎなかった‥‥、心の奥の重たさや葛藤なんて知る由もなかった‥‥と、この二人の生徒から問われたことは、その後の教育実践の柱の一本になりました。

オーケストラの生演奏を!

 この学校で、何よりも困り果てていたのは、2年生の授業でした。それも、生徒会長率いるツッパリ4人衆がいるクラス。どうやって「音楽」に引き入れていったらいいものか、悩み続けていました。

 そんな時、東京のプロのオーケストラ演奏会のポスターが、手元に届きました。
(これだ!彼らに生演奏を聴かせてみよう! きっと何かを感じてくれるはずっ!)早速、彼らに声をかけてみました。
 ところが「はーん? 何言ってる?! そんなの行かないぜっ!」 「行くわけないっ! アホくさ!」などと、全く聞く耳持たずの状態でした。それでもしつこくしがみつき、結局、演奏会後に、ラーメンをおごるという約束で、話がつきました。
チケット5枚分、ラーメン代……。そんな金額に気を取られる余裕などなく、必死の説得でした。

 演奏会当日、4人衆は約束の時間に、校門前にやって来ました。知人に借りた車に、彼ら4人を乗せ会場へ。メインの演奏曲目は、あの有名なドヴォルザーク作曲「新世界」。
静まり返る会場に、響き渡るオーケストラの音。チラリと目をやると、スヤスヤ眠りの中。
(うーむ、ダメだったかぁ。この音色、この迫力、彼らには入っていかないかぁ…)

 演奏会後、約束通り、ラーメン屋へ。その途中の車中で、一人がポロっと、「チーンってなってたなぁ」
ん?、???「あっ、そ、そ。あれは、トライアングルっていう楽器なんだよ」
(そっかあ、そこかぁ。たった一箇所の響き。彼らなりに聴いてたんだぁ) 

黙々とラーメンをすする4人衆。その後、一人一人、最寄りの所まで送り届けどける。
降り際に、弁の立つT男が、「ヨシッ!あんたのやる気は分かった。でも、俺達にも立場があるから、そうすんなりと授業を受けるわけにはいかない。だから、態度は変えない。でも、邪魔はしない。だから、授業は頑張れ!」 「………」

 それ以後、朝、校門を通り抜ける私の車への怒号は、なくなりました。授業には、遅れずにやって来ました。でも教具なしの手ぶらで。野次ることなく、黙って座っていました。でも、一切歌わず、活動せず、でしたが。

 2ヶ月余りで、やれたことは、ここまででした。彼らそれぞれの内面に、深く入りこむこともできず、音楽活動を促すこともできず、3月の修了式で、別れました。

卒業式直前で

 3年生は卒業式の合唱を仕上げなければ。でもシラーっ、ダラーっとした空気は、なかなか変わらない。残り時間はわずか。(3年間、この空気の中でやってきた彼らを、今更どうすればいいのよ!) (残り2ヶ月ちょっとで、何ができるというのよ!)と、見事な責任転嫁。
しかし、このまんまで卒業式は迎えさせられない。
(ん?それは 誰のため? 私のプライド? いやいや、生徒達のため? ウーム。)
そんな自問自答を繰り返すうちにも、卒業式は近づいてくるのです。

(そうだ、3年生のつぶやきを拾ってみよう)あちらこちらで尋ねてみました。「ねぇ、どうして歌わないのー?」すると「あの歌が嫌いっ」 「あんな歌で卒業したくないっ」 「他の曲にしてー」
(えーっ、残り1ケ月もないというのに……。そんなぁ~。)
 迷った挙句、生徒達が希望する曲への変更を、先生方に提案してみました。3年生の他の先生方は、あまりに酷い生徒達の実態を目の当たりにして「仕方ないでしょう」と、すんなりと同意してくれました。

(あぁ、こんな時期に式歌を変更するなんて…。どうなるんだろう……)

 3年生を体育館に集め、曲の変更を告げると、「わぁーーーっ」と拍手!この歓声は? 自分達の要求が通ったからなのか? 好きな歌が歌えるからなのか?私は生徒達の心に届くか否か分かりませんでしたが、懇願する気持ちで訴えました。
「君達の望んだ曲なんだから、思いっきり歌って、卒業しよう!!」
 後日、数人の生徒達が寄ってきて、言いました。「ケロンパ先生、3年生に人気あるよ!」 
(ふーん、今の私は、妥協してるからなぁ……)
「私は人気はいらない。信頼がほしい。信頼される先生になりたい」と呟きました。

 卒業式の形は整いました。3年生は歌ってました。でもこれでよかったのかという迷いが残ったままでした。3年生と出会ったのは、中学校生活を終えようとする頃。殆ど関わりを持てなかった彼らが、どのような気持ちだったのか、何も分からないままでした。
これから出会っていく生徒達を、こんな状況で送り出すことはすまい!そう強く決意しました。
音楽教師としての最後の大仕事、卒業式の合唱づくり。一人一人、それぞれの思いが詰まった3年間を、思いっきり歌声に乗せられるよう、それを目指して日々の授業づくりをする!そう決心しました。

足はガクガク、心臓バクバク

 2学期から赴任した学校の任期は、3月の年度末まででした。日々の授業をやっていくのに必死でしたが、職員室は、若い先生達の熱気にあふれ、プライベイトの生活にまで及んで諸先輩に温かく支えられていたので、どうにか冬休みまで勤められたという状態でした。
 でも次第に(ここまで酷い状況は、この学校だけかもしれない。他の学校は、もうちょっと落ち着いているのでは‥‥)と思うようになりました。
「一緒にやっていこう!」と、引き留めてくれる先生方の気持ちに応えきれず、3学期から、他の中学校の講師を希望して転任しました。

 すると、次の学校では、さらに厳しい状況に直面することになりました。
(あぁ、4月からは正式採用だ。どこもこんな状況なら、もうやっていく自信はない。合格しなきゃよかった~)と、嘆くことになってしまいました。

 

3学期から赴任した学校では‥‥
3年生…シーン。「さあ、歌おうよ!」 シーン。シラ~っ。
    重たい空気に落ち込む気持ちを、必死で払いのけながら、                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
   「ハイ、お腹からこうやって声出して! ほら、気持ちいいよー!」 
    返ってきた言葉が、「はーん? 金八先生気取りで何してるん?」
   (ふぅ~、どうにもならないよー。でも、卒業式の合唱は何としても仕

    上げないと‥‥)

2年生…何と、リーゼントに長ランのツッパリ軍が、生徒会役員。
    リーダー各のR男が、生徒会長。
    毎朝、彼らが立つ校門を、意を決して、車で通過。
   「帰れーーーー!」と、浴びせられる怒号。

    そして、授業では、    
    R男率いるツッパリ諸君が、始業後10分程遅れて、音楽室へ。
    ガラッ!と、勢いよく前の扉を開け、ツカツカと、自分の席へ。
    ドスン!と座ると、両足をバタッと、机の上へ。もちろん手に教具

    は無し。
   (あぁ、やって来た~、どうしよう~)
   (足を下すように言わなきゃ。でもぉー、下すわけないよね~。でも、

    でも、黙ってちゃいけないしー)
    「足を下しなさいっ!」シカトするR男。「うっるせェーーー!」

    とT男。
    もう足はガクガク。心臓はバクバク。(怖い~~)
    私がどう対処するのか、ジーッと見ている他の生徒達。 
    虚勢を張って、もう一度「足を下しなさいっ!!」 
   「うっるせェーーーー!」と、R男を先頭に、音楽室を出ていく一軍。

 毎日のように、朝から(学校に行きたくなーい、休みたーい。でも、病気でもないのに休めない‥‥)寒い冬の夜、布団を掛けずに寝ていました(熱が出たら、休める)と。でも、風邪一つひかないのです。行かなければなりません。這いつくばるような思いで行きました。生徒会役員が引き上げた後に、校門をこっそり通り抜けようと、始業ギリギリの時間に。(まるで生徒みたい)