あれーっ? ココは公立学校だよねー?

 生徒と音楽の授業をしている時、歌っている時、とても充実していました。
こんな教師生活を送られていることを幸せだと、心底思っていました。
 
 しかし、時がたつにつれ、少しずつ○○市の教育現場の実情が見えてくると、
「???」の疑問や、「!!!」の驚きが、沸き起こってきました。
私が体験したことのないような教育が、行われていたのです。

○○市は、中学校間の競争が激しく、それに打ち勝つため、校内では様々な手段が講じられていました。
・毎朝、始業前に小テスト ⇒ 合格点に達しない生徒は放課後の補習
・夏休みの長期間の補習
・諸行事はすべて教師の手で ⇐ 生徒は勉強だけに集中させる
 (例)「修学旅行のことは、1週間前まで一切話題に上げてはいけませんよ~」
    という教師への禁止令。

 当然、職員室内では、教師間の競争激化。そして、最もその手腕を要求される3年生の担任には、競争で好成績を出す教師が指名されていました。
 (例) 「私、この競争がイヤなの。心が疲れる」という女性の先生のボヤキ。

 こんな教育体制の中、生徒達は指示に逆らうこともなく、管理された学校生活に疑問を抱くこともなく、落ち着いて生活していました。それ以外の学校生活を体験したことないのだから、当然ですが。

 でも、こんな管理教育の中では、自分の判断で主体的に行動したり、考えをぶつけ合いながら互いをより深く理解し合ったり、また視野を広げながら、どう生きていこうかと自問自答したり…そんな時間や場は、全くありません。
<40年後の現在、こんな教育実践を要求されるようになってきましたが>

 私は次第に、このような教育を強いられることに反発を抱くようになりました。
「辞めたい。こんなの私が望んでいた教育じゃない!」
地元故郷の学校に勤める友人達の話を聞くたびに
「こんな教育現場に、骨を埋めたくない!」という思いが強まっていきました。

 でもここを辞めるということは、生徒達を見捨てるということ、生徒達を放り出して、逃げ出すということになるんだという気持も大きくなり、葛藤する日々でした。

 悩み込んでいる私に、一人の友人が言ってくれました。
「 “3本の矢”だよ!独りでは出来ないことも、一緒にやる仲間がいたら、成し遂げられるよ。故郷に帰って思いっきりやっておいで。ここで一人でうつむいているより、やれる場で頑張ればいい。逃げることにはならないよ」
この言葉に勇気づけられ、地元の採用試験を受験しなおすことを決心しました。