ソーシャル・ディスタンスでの合唱の意味

コロナ禍での授業づくり。「合唱禁止」の下での音楽の授業づくり。

どうやっていけばいいんだろう?今だからこそできることは?

うーむ、私だったら……?そう思って考えてみたのです。

 

大学生の頃、『合唱』の時間が苦痛でした。歌うことがとても億劫でした。

興味の持てない曲を、先輩達が指揮をするだけ。私達は練習台?!

だから、まだかまだかと時計を見ながら、口パクしていました。

(この時間に、学べることは何も無し。教授の怠慢ダっ!)

 

私が合唱を楽しめるようになったのは、つい最近のことです。

高校の同窓生で結成したちっちゃな合唱団に入ってからのこと。

敢えてハーモニー感を学ぶために、アルトパートを希望。

小人数なので、口パクなんて許されません。

一人一人が、それぞれのパートの柱。音がズレると、響き渡ってしまう。

音取りに集中しながら、時折「あっ、今、ハモってる!」と感じ取れる瞬間、

あぁ、これが合唱の面白みかぁ~と、味わえるようになったのです。

 

授業でも、こんな合唱づくりが、やれる時なんだと思うのです。

感染防止の為に「距離を取って! 近づいちゃダメだよ!」

これまでのように隣からの歌声に頼りっきりになれない。自分の声がよーく聞こえる。周囲と溶けあっているか集中しながら、音楽が進んでいく。

これこそ、今だからやっていける合唱。一人一人が柱の合唱づくり。

 

このことは、今を生きている中学生にとても重要なことと思います。

生徒達は、集団の中で、自分の考えや思いを伝える前に、周囲をうかがう。

(ん?そうかなぁ?)(あれーっ?)と思っても、言わない、出さない。

その後の自分の立場や陰口が気になるから、周囲に同調。○○さんに同調。

幼い頃より、こうやって人とやり過ごしていく術を身につけてきた中学生達。

だからこそ今「人との距離を取りなさい」この指示をテコにして一人になる。そして、自分はどう思う? どう感じる?と、周囲をうかがわずに自分と向きあう。

そんな時間を過ごさせることができると思うのです。

あれもできない、これもダメだと項垂れていては、今を中学生として生きている生徒達の時間が、意味あるものにならないと思うのです。

体育大会も無し。修学旅行も無し。

でも、表面的な浅く危うい繋がりの中で過ごしていた生徒達に、じっくりと内省できる場を創っていく。一人になることに意味があったと実感させる。

私だったら……、そんな日々を創り出したい、そう考えます。